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神戸地方裁判所 昭和57年(ワ)1720号 判決 1984年11月26日

原告

坂崎稲雄

右訴訟代理人

麻田光広

横井貞夫

丸山哲男

大澤龍司

被告

神戸精糖株式会社

右代表者

鈴木敏通

右訴訟代理人

竹林節治

畑守人

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1(主位的)

被告は原告に対し、金六三五万八七〇〇円及びこれに対する昭和五八年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2(予備的)

被告は原告に対し、金六一六万二〇〇〇円及びこれに対する同五七年一一月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

4 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

(主位的請求関係)

一  請求原因

1 原告は被告の従業員であつたところ、昭和五八年三月三一日をもつて被告を定年退職した。

2(一) 原告にも適用される被告と名古屋精糖労働組合(以下「名糖労組」という。)との間の労働協約(以下「本件協約」という。)付属協定書(以下「本件協定書」という。)所定の退職金支給率によれば、原告の右定年退職による退職金額は金一八六八万二八〇〇円である。

(二) 被告においては、定年退職による退職金は定年退職日に支払われるのが慣例であつた。

3 ところが、被告は原告に対し、退職金として同五九年五月一一日金一二三二万四一〇〇円を支払つたにすぎない。

4 よつて、原告は被告に対し、未払退職金六三五万八七〇〇円及びこれに対する弁済期の翌日である同五八年四月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1 請求原因1項のうち、原告が被告の従業員であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

2 同2項については、(一)及び(二)とも認める。

3 同3項は認める。

4 (被告の主張)

被告は原告に対し、同五七年一一月一五日付書面をもつて、同日限り解雇する旨の通告をし、よつて原告を解雇した(以下「本件解雇」という。)。

三  被告の主張に対する認否及び原告の反論

1 被告の主張事実は認める。

2 (原告の反論)

本件解雇は、原告の所属する名糖労組を壊滅させようとの意図に基づいてされたもので、それ自体不当労働行為にほかならないから、無効である。

四  原告の反論に対する認否

争う。

(予備的請求関係)

一  請求原因

1 原告は被告の従業員であつたところ、本件解雇の通告により同五七年一一月一五日をもつて解雇された。

2(一) 原告にも適用される本件協定書所定の退職金支給率によれば、原告の右解雇による退職金額は金一八四八万六一〇〇円である。

(二) 被告においては、退職金は退職日に支払われるのが慣例であつた。

3 ところが、被告は原告に対し、退職金として同五九年五月一一日金一二三二万四一〇〇円を支払つたにすぎない。

4 よつて、原告は被告に対し、未払退職金六一六万二〇〇〇円及びこれに対する弁済期の翌日である同五七年一一月一六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1項は認める。

2 同2項については、(一)は認めるが、(二)は争う。

3 同3項は認める。

三  被告の主張

1 本件解雇による原告の退職金額は、以下に述べるとおり原告主張の金額から請求原因3項記載の金額に減額されたものであるから、未払退職金は存在しない。

(一) 被告における退職金に関する定めとしては、本件協約が「被告は名糖労組の組合員の退職金の取扱いについては、別に定める協定書により支給する。」旨定め、これに基づき本件協定書が「被告は下記算定基準により退職金を支給する。」として、支給率及び自己都合退職による減額について定めているほか、社員就業規則(以下「本件就業規則」という。)が「社員の退職金に関する事項は別にこれを定める。」旨定め、これに基づき同規則付属社員退職金規程(以下「本件退職金規程」という。)が詳細な定めをおいているところ、右協定書及び右退職金規定における支給率及び自己都合退職による減額についての規定は同一内容であり、結局、右協定書は右退職金規程のうち右事項についての規定を重畳的に定めてこれを労働協約化したにすぎないものであり、右退職金規程のその他の規定を排斥するものではない。

したがつて、本件退職金規程は、被告における退職金に関する定めとして有効に存在しているものであり、原被告間の労働契約においても、退職金に関しては同規程の定めがその内容となつていたものである。

(二) 本件退職金規定一〇条では、事業の縮小又は廃止により人員整理を行うときの退職金については同規程を適用しないことがある旨定められている。

(三) 被告は、同五七年九月三〇日現在で八五億円余の損失を計上し再建の見込みもなかつたため同年一〇月二〇日工場を閉鎖して営業を停止し、次いで工場閉鎖に伴う人員整理のため同年一一月一五日をもつて原告を含む全従業員を解雇することとしたが、本件退職金規程所定の退職金支給率(これは、以上から明らかなように原告主張の本件協定書所定の退職金支給率と同一である。)による全従業員の退職金総額約三三億円を支払うべき資力を有しなかつたため、同規程一〇条により全従業員の退職金額を所定金額の三分の二に減額することとした。

(四) その結果、原告の退職金額も、所定金額である請求原因2項(一)記載の金額から、その三分の二にあたる同3項記載の金額に減額されたもので、被告のこの措置については、本件解雇の通告をしたのと同一の書面をもつて原告に通知したところである。

2 仮に、本件解雇による原告の退職金について未払部分があるとしても、原告は右解雇の効力を争い、退職金の受領を拒絶する意思を明らかにしていたものであるから、解雇日の翌日からの遅延損害金請求は失当である。

なお、被告における退職金の支払は、退職が明確で退職金受領の意思が明らかな場合に限つて退職日にこれを行つていたことはあるが、被告において退職金が退職日に支払われるとの慣例が存したものではない。

四  被告の主張に対する原告の反論

1 被告の主張1項について

被告の主張する本件退職金規程一〇条の定めは、以下に述べるとおり効力を有しないものである。

(一) 被告は同四八年九月二〇日設立された会社で、同年一二月一日名古屋精糖株式会社(以下「名古屋精糖」という。)からその神戸工場の資産及び営業を譲受けるとともに、その従業員を雇用して操業を開始したものであり、原告はもと名古屋精糖の従業員であつたところ、右営業譲渡に伴い同日以降被告に雇用されるに至つたものである。

名古屋精糖においては、その従業員で組織された名糖労組との間に退職金に関する労働協約はなく、退職金については従業員就業規則をもつて「従業員の退職金に関する事項は別にこれを定める。」旨定め、これに基づく同規則付属従業員退職金規程が詳細な定めをおいていたところ、その一〇条には、事業の縮小又は廃止により人員整理を行うときの退職金については同規程を適用しないことがある旨定められていた。

しかし、被告と名糖労組が右営業譲渡に先立ち被告における労働条件等について労働協約を締結する交渉をした結果、退職金についてもこれを労働協約化することとなり、具体的には、「被告は名糖労組の組合員の退職金の取扱いについては、別に定める協定書により支給する。」旨の労働協約及び「被告は下記算定基準により退職金を支給する。」として、支給率及び自己都合退職による減額について定めた協定書が同年一一月二四日に(同年一二月一日付で)締結されるに至つたもので、名古屋精糖の従業員退職金規程一〇条の定めは、右労働協約及び協定書の締結に際し、排除された。

したがつて、原告が被告に雇用されるに至つた時点において、名古屋精糖の従業員退職金規程一〇条の定めは原被告間の労働契約の内容とはならなかつたものであり、また実際被告においては、右時点以降同五三年六月一日までは有効な就業規則ないし退職金規程が存在せず、右一〇条と同様の定めをした規定は全く存在しなかつたのである。

ただ、被告は同日本件就業規則及び本件退職金規程を作成し、同規程一〇条に名古屋精糖の従業員退職金規程一〇条と同一内容の定めを設けるに至つたが、このような被告の一方的行為によつて原被告間の労働契約の内容が変更されるものでないことはいうまでもなく、結局、本件退職金規程一〇条の定めは、原告に対し何らの効力をも有しない。

(二) 本件労働協約及び本件協定書の退職金に関する定めは、労働協約として労働組合法一六条にいわゆる労働条件その他の労働者の待遇に関する基準を定めたものにほかならないところ、本件退職金規程一〇条の定めは、明らかに右基準に反するものである。

本件退職金規程の法的性質は就業規則であるが、右のようないわゆる労働協約の規範的部分に反する就業規則は労働基準法九二条の趣旨からも当然に無効と解すべきであるから、本件退職金規程一〇条の定めはそれ自体当然に無効というべきであり、また、仮に右定めが原被告間の労働契約の内容とされていたとしても、当該契約部分は労働組合法一六条所定のいわゆる規範的効力により無効とされるべきものであることが明らかであり、いずれにせよ、右定めは何らの効力をも有しない。

2 被告の主張2項について

被告は本件解雇による退職金の支払については、退職を承諾し退職金等を受領したからには今後一切異議を申立てない旨の書面が差入れられることを条件としていたものであるが、右解雇の不当性を主張する原告としては、右のような書面を差入れることができないのは当然であり、原告には退職金不受領の責は全くない。

また、被告としては、原告の協力なしに退職金債務について供託をすることができ、それにより遅滞の責を免れることができたのであるから、被告の右主張は信義則に反し許されない。

第三  証拠<省略>

理由

一主位的請求について

1  請求原因1項のうえ、原告が被告の従業員であつたことは当事者間に争いがない。

しかし、原告が昭和五八年三月三一日をもつて被告を定年退職したことについては、本件全証拠によつてもこれを認めることができず、かえつて、被告が原告に対し、右の日より四か月半前の同五七年一一月一五日付書面により同日をもつて解雇する旨の通告(本件解雇の通告)をしたことは当事者間に争いがないところ、右解雇が不当労働行為として無効である旨の原告主張事実については何らの立証もないから、結局、原告は本件解雇の通告により同日をもつて解雇されたものというべきである。

2  そうすると、原告が同五八年三月三一日被告を定年退職したことを前提とする原告の主位的請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

二予備的請求について

1  請求原因1項、2項(一)及び3項の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  そこで、被告の主張1項について検討する。

(一)  右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 原告は昭和二六年八月ころから名古屋精糖に雇用されていたが、同会社は同四六年一二月ころ倒産状態となり、同月二五日会社更生法による更生手続開始決定を受けた。

その後同会社の更生計画が立案される中で、同会社の神戸工場及び東京工場をそれぞれ丸紅株式会社(以下「丸紅」という。)及び日商岩井株式会社(以下「日商岩井」という。また、同会社と丸紅を総称して「両商社」という。)に売渡す案が有力となり、この案は同四八年八月初旬ほぼ確定的となつた。

そして、同年九月二〇日丸紅の全額出資により被告が設立され、被告、丸紅及び名古屋精糖の三者の間で同年一〇月二五日締結された譲渡契約書に基づき、被告は同年一二月一日名古屋精糖からその神戸工場の資産及び営業を譲受けるとともに、原告を含む名古屋精糖の従業員三五八名を雇用して操業を開始した。

なお、被告と同じころに日商岩井によつて設立された新名糖株式会社(以下「新名糖」という。)も被告と同様に名古屋精糖からその東京工場の資産及び営業を譲受けるとともに、その従業員を雇用するに至つた。

(2) 名古屋精糖とその従業員で組織された名糖労組との間には、協定書や覚書等の形式による多数の労働協約が締結されていたが、退職金について規定した労働協約はなく、同会社はその従業員の退職金について、従業員就業規則及び従業員退職金規程をもつて定めていた。

従業員就業規則の退職金に関する規定は、従業員の退職金に関する事項は別にこれを定めるというものであり、これを受けた従業員退職金規程には、退職金支給額(二条、「退職金は退職時の基本給月額に、別表の支給率を乗じた金額とする。」〔別表は省略する〕)、支給条件(三条)、自己退職の減額(五条、「勤続満二年以上の従業員が、自己の都合により退職を願出で会社が承認したときは、第二条の規定退職金を次の割合により減額する。」〔減額割合は省略〕)、特例(六条、「従業員が次の各号の一に該当するときは、退職金を支給しない。一、勤続満二年未満で自己の都合により退職したとき 二、懲戒解雇されたとき」)などの詳細な規定がおかれていたほか、一〇条には、「事業の縮少又は廃止により人員整理を行うときの退職金については、本規定を適用しないことがある。」旨定められていた。

(3) 同四八年四月一八日、名古屋精糖の更生管財人のほか、両商社、名糖労組及びその支援団体の各関係者が集まつた席上において、名古屋精糖についての前記更生計画案を具体化する作業の一環として、同会社従業員の両商社の各設立する新会社(以下「各新会社」という。)における労働条件等の問題、特に名古屋精糖と名糖労組との間に有効に存在していた労働協約の取扱いに関する問題を討議するため、両商社と名糖労組の三者で小委員会を設けることが決められた。

そして、同月二〇日から同年五月二二日までの間計六回にわたり小委員会が開催されたが、その席上において、名糖労組は、各新会社が名古屋精糖におけると同一の労働条件をもつて雇用を継続すること及び右労働協約をそのまま引継ぐべきことを主張し、一方、両商社は、各新会社における雇用を新規雇用とすること及び労働条件については名古屋精糖におけるそれを尊重はするが、終局的には各新会社が新規に制定する就業規則並びに各新会社と名糖労組との間で新規に締結される労働協約によるべきことを主張し、結局、小委員会は右各主張が対立したままの状態で打切られた。

なお、小委員会において、名古屋精糖における前記の退職金に関する規定を新規に労働協約化するということが話題になつたことは一切なかつた。ただ、両商社の方から名古屋精糖の退職金支給率が高すぎる旨の意見が出されたことがあつたが、当時名古屋精糖の人事部次長であつた浅川昭が他の会社との比較資料を提出した結果、両商社から名糖労組に対し、退職金支給率については了承する旨の意思表示がされた。

(4) 小委員会は右のとおり物別れに終わつたが、その後名古屋精糖の更生管財人等の仲介により、同年八月初めころまでに両商社と名糖労組との間で、各新会社における雇用は新規雇用とするが、退職金の支給等の関係では名古屋精糖における勤続年数を通算するほか、労働条件や労働協約についても特に除外する旨合意された事項を除き各新会社に一切引継ぐ旨の合意が成立し、同月六日には、右合意内容や各新会社における労使の基本的あり方等を定めた確認書が締結調印された。

そして、同日名古屋精糖と名糖労組との間に有効に存続している協定書等であることがその両者によつて確認された一〇〇件の協定書等の労働協約が両商社に交付され、また、同年九月一八日には、名古屋精糖と名糖労組が同会社において有効に制定施行されている就業規則、給与規程、退職金規程等であることを確認したうえで、それらの人事関係諸規則が両商社に交付されたが、以上の労働協約及び人事関係諸規則がその後各新会社と名糖労組との交渉において特に除外することとされない限り尊重され、そのまま各新会社における労働協約及び人事関係諸規則の内容となるべきことについては、両商社及び名糖労組ともその旨認識が一致していた。

(5) 以上の経過により名古屋精糖についての前記更生計画案が確定的かつ具体的なものとなつたが、同案においては、各新会社に雇用されることとなる名古屋精糖従業員の退職金については、前記のとおり各新会社において名古屋精糖での勤続年数が通算される旨の合意が成立していたこともあつて、直接各従業員に支払うこととはされず、各従業員について各新会社に雇用される時点において名古屋精糖を退職したものとして計算した前記従業員退職金規程二条所定の退職金相当額の合計額を各新会社に預託するものとされ、これについては、前記の被告、丸紅及び名古屋精糖の間で締結された譲渡契約書においてもその旨定められていた。もつとも、その後同会社の更生管財人が現実に被告に預託した退職金額は、同会社の従業員退職金規程二条所定の退職金額と同規程五条所定の自己退職による減額割合を適用して算出された退職金額とを平均した金額の合計額であつた。

(6) 両商社により各新会社(被告及び新名糖)がそれぞれ設立された後、名糖労組と各新会社との間で労働協約締結交渉が開始され、まず、同年一〇月二二日には名糖労組から労働協約案(以下「組合一次案」という。)が提示された。

同案は、協約事項のうち基本的なものを包括的な労働協約中に定め、その余を各事項ごとに個別の協定書で定める形式のものであつたため、退職金に関する事項も個別協定書により定められるものとされていた。その具体的内容は、「新名糖及び被告と名糖労組とは、退職金算定基準に関して下記のとおり協定する。」として、支給率及び自己都合退職による減額割合を定めるものであり、その支給率及び減額割合は前記従業員退職金規程二条所定の支給率及び五条所定の減額割合と同一とされていた。なお、名糖労組が名古屋精糖においては就業規則として規定されていたにすぎなかつた退職金に関する右各事項を労働協約の中に取り入れる案を提示したのは、名糖労組としては前記小委員会において合意に達した事項についてはすべて労働協約化を図る方針を立てていたところ、前記のとおりその席上で退職金支給率が話題に上り結局両商社ともその支給率を了承したという経緯があつたからであつた。

次いで、同月二七日には各新会社からそれぞれ労働協約案が提示された。

そのうち新名糖の案(以下「新名糖案」という。)においても同じく退職金に関する事項を定めるものとされており、具体的には、まず包括的労働協約中に「会社は、組合員が退職したとき、もしくは解雇(懲戒解雇を除く)されたときは、組合との別途協定による退職金を支払う。」旨定めたうえ、右の別途協定として「退職金、定年及び定年嘱託に関する協定書」を締結するものとされていた。右協定書の内容は、一五か条にわたる詳細なもので、基本的には前記従業員退職金規程と同一内容であつたが、ただ同規程一〇条の定めは盛り込まれていなかつた。

一方、被告の労働協約案(以下「被告案」という。)においても退職金に関する規定がおかれるものとされていたが、ただその内容は、「会社は、組合員の退職金の取扱いについては会社が定める社員退職金規程により行う。」というものにすぎず、右にいわゆる社員退職金規程とは、名古屋精糖の従業員退職金規程と同一内容でただその名称のみを変更したものという趣旨であつたため、その内容が具体的には提示されていなかつた。なお、被告は名古屋精糖においては退職金が就業規則をもつて定められていたにすぎなかつたところから、本来はこれを労働協約化する意思は有していなかつたものであるが、それにもかかわらず右のように退職金に関する事項を労働協約案の中に盛り込んだのは、同会社の更生計画案において前記のとおりその従業員の退職金相当額を被告及び新名糖に預託するものとされたことに関し、名古屋精糖の更生管財人から、右のような形で退職金債権を優先的に支払うことについて同会社の一般債権者から非難が向けられた場合に退職金債権の優先性を説明するためには、被告と名糖労組との労働協約において退職金に関する事項が定められていた方が好ましいとの示唆を受けたためであつた。

その後被告と名糖労組は同年一一月に入つてから本格的な労働協約締結交渉に入つた。その席上において名糖労組は、この交渉は名古屋精糖と名糖労組との間に有効に存続している労働協約の中で被告が引継ぐものを決めるためのものであるが、ただ退職金については名糖労組としても従来の名古屋精糖における権利を引継ぐものとして新たにこれを労働協約化することを提案するものであるとしたうえで、退職金の労働協約化について、被告案によれば被告による一方的改廃が可能であることに帰するとしてこれに反対するとともに、被告が名古屋精糖から退職金相当額の預託を受けてこれを引継ぐことになつている関係からしても具体的な退職金支給率を協定書の形式により労働協約化することが最低限必要であるが、新名糖案が支給率を含めて詳細な規定を設けることとしているのでこれによるべきである旨主張した。しかし、被告は名糖労組の右主張を受け入れるには至らず、右労働協約締結交渉は同月一五日過ぎからトップ交渉の段階に入り、その席上において被告は、名古屋精糖から退職金の預託を受ける関係上退職金支給率を労働協約化することには応じる旨の意向を示したところ、同月二〇日名糖労組から新たな労働協約案(以下「組合二次案」という。)が提示された。

同案によると、退職金については、まず包括的労働協約の中で「会社は組合員の退職金の取扱いについては別に定める協定書により支給する。」旨定めたうえで、右の協定書の中に組合一次案における協定書の内容を盛り込むものとされていた。

そして、結局、被告と名糖労組は同月二四日組合二次案に若干の修正を加えたものをもつて労働協約とすることで合意し、同日労働協約及び同協約付属協定書(本件協約及び本件協定書)を締結調印した(ただし、労働協約及び協定書に記載された日付は同年一二月一日となつていた。)。その結果、退職金についても労働協約化されるに至り、具体的には、まず本件協約二八条で「会社は、組合員の退職金の取扱いについては、別に定める協定書により支給する。」旨定められ、次いで本件協定書一六条において「会社は、下記算定基準により退職金を支給する。」として、支給率及び自己都合退職による減額割合が定められたところ、右支給率は前記従業員退職金規程二条所定の支給率と同一であり、右減額割合は、組合一次案及び二次案におけると同様に同規程五条所定の減額割合と同一で、さらに勤続満二年未満の場合の減額割合を一〇〇パーセントとする旨も定めたものであつたから、結局、右協定書は、名古屋精糖の従業員退職金規程の二条、五条及び六条一号の規定内容のみをそのまま労働協約化したものであつた(以下、本件協約及び本件協定書のうち、右に記載した退職金に関する定めを「本件退職金協約」という。)。

なお、以上の被告と名糖労組との労働協約締結交渉において、前記従業員退職金規程六条二号及び一〇条の規定内容が議論の対象となつたことは一切なかつた。

(7) 一方、被告の就業規則については、前記(3)及び(4)記載の経過により、原則として名古屋精糖の就業規則の内容を引継ぐこととなつており、前記譲渡契約書においても、被告は丸紅が同年九月一八日受領した名古屋精糖の就業規則等の人事関係諸規則を尊重して譲渡日(同年一二月一日)までに被告の就業規則等を作成するものとする旨定められていたが、右のとおり労働協約締結交渉が右譲渡日の直前まで妥結しなかつたこと等から、被告は、名古屋精糖の就業規則等について事業主の名義を被告に変更することによつてこれを被告の就業規則等として当分の間流用することとし、同年一一月二七日ころ名糖労組からもその旨の了解を得たうえで、同年一二月一日神戸東労働基準監督署長に右名義変更届をした。名糖労組が流用を承認した就業規則等には、前記従業員就業規則や従業員退職金規程も含まれていたが、名糖労組はその流用を承認するにあたり同規程一〇条(退職金規程の適用除外)の定めを削除するべきである等の申入れはしなかつた。

その後被告は、同五三年六月一日社員就業規則及び社員退職金規程(本件就業規則及び本件退職金規程)を作成し、同月二九日労働基準監督署に届出たが、これらにおける退職金に関する定めの内容は、名古屋精糖の前記従業員就業規則及び従業員退職金規程による退職金の定めの内容と基本的に同一であり、本件退職金規程一〇条には、従業員退職金規程一〇条と全く同一内容の定めがおかれていた。

なお、被告が本件退職金規程を作成するについて、名糖労組は、当初はその一〇条に言及されている人員整理そのものに反対であるから右一〇条の定めには反対である旨主張し、その後正式に名糖労組としての意見をまとめた書面においては、右の定めは被告と名糖労組との間の労働協約所定の事前協議条項及び本件退職金協約に抵触する旨の意見を述べた。

(8) 被告は、業績不振のため同五七年九月三〇日の決算において八五億二〇七一万七九三〇円の未処理損失を計上するに至り、再建合理化案についても名糖労組の協力が得られないなどの諸般の事情から事業の継続を断念して同年一〇月二〇日工場を閉鎖し、次いで同年一一月一五日には管理職を含めて三三二名の全従業員に対し同日をもつて解雇する旨の通告をした。

この解雇による全従業員の退職金の総額は、本件退職金規程所定の退職金支給率によると約三二億九〇〇〇万円となるところ、被告にはそれだけの支払資金がなく、丸紅からの借入金に頼らざるを得なかつた。

しかし、被告は当時丸紅から既に一三〇億円程度の融資を受けており、工場閉鎖の状況下においてさらに融資を受けることができる金員には限度があつたため、被告は全従業員の退職金について、同規程一〇条により同規程二条所定の退職金支給率による金額(原告の場合は、一八四八万四一〇〇円)からその三分の一を減額することとし、全従業員に対し右解雇通告と同時にその旨を通知した。

なお、被告は右解雇通告による解雇を承認して退職金受領の意思を明らかにした者に対しては、同月二七日右減額した退職金額を支払つた。

(二)  右認定事実によれば、被告は同五三年六月一日作成した本件退職金規程一〇条において、事業の縮小又は廃止による人員整理の場合の退職金額は原則的な退職金額である同規程所定の支給率による金額より増額又は減額されることがあり得る旨を定めていたところ、被告においては、被告が原告を雇用するに至つた同四八年一二月一日の時点において、右定めと全く同趣旨である名古屋精糖の従業員退職金規程一〇条を含む同会社の就業規則等を流用してそのまま被告の就業規則等とする措置がとられた結果、すでに同日から本件退職金規程一〇条と同一の定めがおかれていたものであることが明らかであり、原被告間の労働契約において特に右の定めによらない旨の合意がされたことを認めるに足りる証拠はないから、右一〇条の定めは右契約の内容に含まれていたものと認めるのが相当である。

原告は、名古屋精糖の従業員退職金規程一〇条の定めは本件労働協約の締結に際して排除された旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、かえつて前記認定事実(2)ないし(7)によれば、名糖労組は本件退職金協約の締結交渉に入る以前から被告が名古屋精糖における労働条件を一切引継ぐべきことを主張しており、被告と名糖労組が右交渉に入つた段階においては、両者が特に除外する旨合意しない限り被告が名古屋精糖での労働条件を一切引継ぐものとすることが決められていたこと、名糖労組が組合一次案に退職金算定基準に関する事項を盛り込んだのは、両商社がその退職金支給率を了承したという事実があつたからであり、名糖労組としても、右算定基準の労働協約化によつて、被告においては名古屋精糖における従業員退職金規程による取扱いとは異なりいかなる場合でも右算定基準による退職金が支給されるべきものとする意図までは有しておらず、むしろ本件退職金協約締結交渉の席上でも従来の名古屋精糖における退職金の権利を引継ぐものである旨明言していたこと、被告が退職金算定基準の労働協約化に応ずる意向を示したのは、名古屋精糖から退職金の預託を受けることになつていたこととの関係からであり、被告としては、右労働協約化が名古屋精糖の従業員退職金規程のうち労働協約化されなかつた部分の条項を否定し排斥する意味を有するものとは認識していなかつたこと、本件退職金協約の締結に至る過程において、右規程一〇条の定めや六条二号の懲戒解雇のときは退職金を支給しない旨の定めが問題とされたことは一切なかつたこと、新名糖案は同規程とほとんど同一の内容を定めるものとしながら同規程一〇条の定めのみは盛り込んでいなかつたから、同条の定めを否定する趣旨を明確に表現したものであつたといえるところ、同案によるべきである旨の名糖労組の主張は被告により拒否され、そのような経緯を経て締結された本件退職金協約は、結局右規程二条、五条及び六条一号に規定されていた退職金算定基準と同一の内容を定めたものにすぎず、同規程の他の条項を否定する趣旨を明確に表現したものとはなつていないこと等が明らかであり、これらの事実を総合すると、本件退職金協約は、右規程のうち二条、五条及び六条一号の定めを重畳的に労働協約化したものにすぎず、同規程の他の条項の定めを否定する趣旨で締結されたものではないばかりか、むしろこれと併存することを予定して締結されたものであると解するのが相当であるから、原告の右主張は到底採用することができない。

また、原告は、被告においては同五三年六月一日本件退職金規程が作成されるまで、名古屋精糖の従業員退職金規程一〇条と同一の定めをした規定は存在しなかつた旨主張するが、右に述べたとおり被告においては同四八年一二月一日からすでに右の規定が存在したものであることが明らかであるから、原告の右主張は採用できない。

さらに、原告は、本件退職金協約が労働組合法一六条にいわゆる労働条件その他の労働者の待遇に関する基準を定めたものであること及び本件退職金規程一〇条の定めが右基準に違反することを前提として、同規程一〇条の定めはそれ自体当然に無効であり、また、これが原被告間の労働契約の内容とされていたとしても労働協約の規範的効力により当該契約部分は無効とされるべきものである旨主張する。しかしながら、本件退職金協約が名古屋精糖の従業員退職金規程一〇条の定めと併存することを予定して締結されたものであることは右に認定判断したとおりであり、同規程一〇条の定めと本件退職金規程一〇条の定めは全く同一内容なのであるから、本件退職金協約が原告の主張する基準を定めたものであるとしても、右基準はそれ自体で完結的なものではなく、右一〇条の定めによつて補完されることが予定されているものであつて、右一〇条の定めが右基準に違反するという問題は生ずる余地がないものというべきである。したがつて、原告の右主張はその前提を欠くものであり、採用することができない。

(三)  以上により、本件退職金規程一〇条の定めは、原被告間の労働契約に対して効力を有するものというべきである。

そして、同条は、同規程二条所定の退職金支給率による原則的退職金額を場合により変更するものとする例外規定であり、しかも同規程一〇条にいわゆる人員整理が行われるときは必ず右変更が行われるとするものではなく、変更が行われることがあり得る旨を定めているものであることが明らかであるところ、これらの点や今日における退職金の社会的重要性等に鑑みると、同条による退職金額の減額措置は、これを行うことがやむを得ないと認められる特段の事情が存在し、その減額の範囲が相当と認められる場合に限つて許されるものと解するのが相当であるが、前記認定事実(8)によれば、被告が行つた退職金額の減額措置は右の要件を満たす相当なものというべきである。

したがつて、結局、原告の本件解雇による退職金額は、同規程二条所定の退職金額である請求原因2項(一)記載の金額から同3項記載の金額に適法に減額されたものというべきである。

3  そうすると、原告の主張する未払退職金は存在しないものであるから、その存在を前提とする原告の予備的請求は理由がない。

三結論

以上の次第で、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(中川敏男 上原健嗣 小田幸生)

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